イギリスと日本の関係 20世紀②

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1918年 ロシア革命への干渉戦争・ロシア内戦でイギリスが日本に支援を依頼し、シベリア出兵(1925年まで)。
1919年 第一次世界大戦後の秩序を決するパリ講和会議に日英が仏伊米とともに戦勝「五大国」として参加。日本は「人種差別撤廃条項」を提案するが、白豪政策を推し進めるオーストラリアの強い反対で否決される。
1921年 日英米仏の四か国条約により日英同盟廃止が決定。日本の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)による史上初の外遊。英領シンガポールなどを経て、第一次世界大戦で友軍だったイギリス、フランス、ベルギー、イタリアを歴訪。特にイギリスでは大歓迎を受け、裕仁親王はイギリス最高位のガーター勲章を授与される(後に日本の対英宣戦布告を受けて資格剥奪)。
1922年 イギリスの皇太子エドワード(後の国王エドワード8世、退位後にウィンザー公)による史上初の訪日。随行員として王族のルイス・マウントバッテン陸軍中尉も来日。東京市(当時)世田谷区駒沢で史上初の日英皇太子による日英親善ゴルフ大会開催。
1923年8月17日 日英同盟が正式に失効。
1926年に蒋介石が国民革命軍率いて行った北伐に対しては、外相幣原喜重郎は内政不干渉の方針に基づき、アメリカとともにイギリスによる派兵の要請を拒絶。英国の日本への不信の端緒となる。
1930年 ロンドン海軍軍縮会議開催。日本の濱口雄幸内閣は若槻禮次郎元首相を全権とし、イギリス・アメリカと結んだ条約を調印・批准するが、日本海軍の内部対立がやがて統帥権干犯問題へ発展。
1934年 イギリス人の父を持つ男性オペラ歌手、藤原義江がプッチーニ作のオペラ「ラ・ボエーム」を上演し、藤原歌劇団が事実上旗揚げ。
1937年7月7日 盧溝橋事件を発端に、双方ともに宣戦布告なく日中全面衝突(日中戦争)。イギリスはアメリカと共に中立を保ったが、日本による占領地が拡大すると表向きは中立ながら、蒋介石の中国国民党軍(重慶国民政府)を支援(「援蒋ルート」)。日本による米英敵視が顕在化。
1939年9月1日 ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。9月3日、イギリスとフランスがポーランド支援のためドイツに宣戦布告して第二次世界大戦勃発。日本はドイツと日独防共協定を結んでいたが、国策上中立を堅持。ただし、日英関係は険悪に。全国各地で排英同志会を結成。
1940年1月21日 浅間丸事件で日英関係さらに悪化。日本国内では反英感情が高まり、全国で反英集会が開かれる。9月、日本陸軍がフランス領インドシナ北部(北部仏印)へ進駐(「仏印進駐」)。同月、日独伊三国軍事同盟が締結。
1941年7月26日 イギリスが日英通商航海条約破棄を通告
1941年 7月28日、日本陸軍がフランス領インドシナ南部(南部仏印)へ進駐。イギリスは日英通商航海条約を破棄し、日本国内では「ABCD包囲網による経済封鎖」への対抗として開戦論が高まる。12月8日、太平洋戦争勃発。日本は英領マラヤ(マレー作戦)、英領香港、上海のイギリス租界を攻撃し、12月10日、マレー沖海戦では日本海軍がイギリス東洋艦隊の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈、12月25日、香港が陥落(イギリス首相ウィンストン・チャーチル曰く「人生最悪のクリスマス」)。
1942年2月15日 シンガポールの戦いでアーサー・パーシバル中将以下、駐留イギリス連邦軍が、山下奉文中将率いる日本陸軍に降伏。シンガポール(昭南島と改名)は日本の軍政下に入る。続いて日本軍は英領ビルマの首都ラングーンも占領(ビルマの戦い)。
1943年 8月、バー・モウのビルマ国、日本の傀儡国家として独立を宣言。10月、自由インド仮政府、日本の支援で成立。スバス・チャンドラ・ボースがインド国民軍を指揮し、イギリス領インド帝国からの祖国インド解放・独立を目指す。イギリスのチャーチル首相、11-12月のカイロ会談で連合国側の対日戦争・戦後基本方針を確認。同年、英国放送協会(BBC)が日本語での短波ラジオ放送を開始。当初は戦時宣伝放送で、戦争終結後はイギリスの報道・文化番組を放送。
1944年 インパール作戦で日本軍が惨敗。同年、大塚久雄が『近代欧州経済史序説』を著し、資本主義確立期のイギリス経済研究を通じた独自の経済史学を完成。
1945年 5月、日本側から寝返ったアウン・サンらビルマ国軍の支援も受けたイギリス軍がラングーンを奪回。チャーチルはヤルタ協定やポツダム宣言に参加(ポツダム会談途中のイギリス総選挙でイギリス労働党が勝利し、イギリス代表がクレメント・アトリー新首相に交代)。8月15日、日本がポツダム宣言受諾を発表し、9月2日に降伏文書調印。イギリスはマレー(シンガポールを含む)・香港・ビルマを回復し、日本占領にはGHQの対日理事会・極東委員会のメンバーとなり、イギリス連邦諸国軍として参加(中国・四国地方を管轄、主力はオーストラリア軍)。
1948年 英国海外航空(BOAC)、駐日イギリス軍への物資補給を目的に岩国基地へ乗り入れ、初の日英間定期航空路となる。ロンドンオリンピックが開催されたが、日本は参加を認められず。極東国際軍事裁判の判決言い渡しで、イギリスは判事を派遣して参加(裁判開始は1946年)。
20世紀後半~21世紀[編集]

第2回日英外務・防衛閣僚会合(「2+2」)

岩崎茂統合幕僚長とニコラス・ホートンイギリス国防参謀総長
1951年 サンフランシスコ条約締結。翌年発効し、日英関係が正常化。
1953年 昭和天皇の名代として、皇太子明仁親王(今上天皇)がエリザベス2世の戴冠式に参列。
1957年 イギリス映画「戦場にかける橋」が公開。第二次大戦中、日本陸軍による英軍捕虜を使役した泰緬鉄道建設をテーマとし、アカデミー賞で作品賞など7部門を受賞。日本軍の大佐を演じた早川雪洲は助演男優賞候補となる。
1960年 日英文化協定締結。東京のブリティッシュ・カウンシルが日本国内で公式に認められたイギリス文化交流センターとなる。
1964年 東京オリンピック開催。イギリス選手団は金メダル4個[4]、銀メダル12個、銅メダル2個で計18個のメダルを獲得。
1966年 英国海外航空機空中分解事故が発生。BOACのボーイング707が富士山付近の上空で空中分解し、乗客・乗員124名全員が死亡した。ザ・ビートルズ、東京の日本武道館で日本公演を実施。メンバーのジョン・レノンは1969年に日本人芸術家の小野洋子(ヨーコ・オノ)と再婚。1966 FIFAワールドカップがイングランドで開催されたが、日本代表はアジア地区予選に不参加[5]。
1971年 昭和天皇・香淳皇后がイギリスを訪問、歴代天皇では初、自身では皇太子時代の1921年以来。第二次大戦中に剥奪されていたガーター勲章を再度授与された。
1973年 ミック・ジャガーの大麻所持逮捕歴を理由にローリング・ストーンズの日本入国が許可されず、公演は中止となった。
1975年 エリザベス2世がイギリス国王として史上初の訪日。
1980年 小田島雄志によるシェイクスピアの日本語訳全集(全7巻)が刊行完了。ポール・マッカートニーが来日直後の成田空港で大麻所持の現行犯で逮捕され、国外から追放された。
1980年代 イングランド議会の中に英日議員同盟が発起し日本企業などの献金受領を開始。
1983年 徳仁親王、オックスフォード大学マートン・カレッジへ留学し、テムズ川の水運史を研究(-1985年)。
1986年 日産自動車、イングランド北東部のサンダーランド工場での本格稼働を開始。日本車メーカーで初めてイギリスで完成車を生産する。同年、イギリス王室のチャールズ皇太子夫妻が日本を訪問し、ダイアナ妃ブームになる。
1989年 宿澤広朗監督の率いるラグビー日本代表、ラグビースコットランド代表に勝利。
1990年 BBC、財政難を理由に日本語放送を廃止。後に衛星放送のスカイパーフェクTV!の1つとしてBBCワールドのテレビ放送を開始(一部の番組で日本語の同時通訳付き)。同年、ローリング・ストーンズとポール・マッカートニーの日本公演が実現。
1993年 Jリーグ開幕。元イングランド代表選手のゲーリー・リネカーが名古屋グランパスエイトでプレー。
1994年 リネカーが名古屋との契約を終えて退団し、現役を引退してイギリスに帰国した。
1996年 名古屋のフランス人監督、アーセン・ベンゲルがアーセナルFCの監督に就任して離日。
1998年 外交関係樹立140周年を記念して「英国祭98」のイベントが各地で催された。長野オリンピックが開催。イギリス選手団はボブスレー男子4人乗りで銅メダルを獲得した。
2001年 前年から東京で失踪していたイギリス人女性の遺体が発見された(ルーシー・ブラックマンさん事件)。犯人として韓国から帰化した日本人が逮捕されるが、2007年に東京地裁で無罪判決が言い渡された(他の外国人女性への準強姦で無期懲役)。
2002年 日本で2002 FIFAワールドカップ開催(韓国との共催)。イギリスからはイングランド代表が本大会に出場してベスト8進出。同代表主将のデビッド・ベッカムが日本でも人気を得た。
2003年 イラク戦争に有志連合の一員として日英ともに参加し、サマーワに自衛隊とイギリス軍が駐屯。
2005年 イギリスから日本に帰化した作家のC・W・ニコル、大英帝国勲章(MBE)を受章。
2007年 イギリス人女性が千葉県内で殺害される(リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件)。犯人として日本人が指名手配され逃亡したが、2009年11月に逮捕された。セルティックFC所属の中村俊輔がスコティッシュ・プレミアリーグのMVPを獲得。
2008年 外交関係樹立150周年を記念して「UK-JAPAN 2008」のイベントが各地で催された。
2000年 電通がイギリスの歴史ある宣伝代理店コレット・ディケンソン・ピアースを買収。
2012年 エリザベス2世の即位60年祝賀行事に出席するため、今上天皇と皇后美智子が訪英。
2012年 4月10日、戦略的パートナーシップの構築に関する共同声明を発表。6月3日、日英防衛協力覚書を署名。
2013年 電通がイギリスの大手宣伝代理店イージズ・グループ(英語版)を約3955億円で買収し約110か国に展開。
2017年 1月、自衛隊と英国軍との提携を取り決めた日英物品役務相互提供協定(日英ACSA)が署名。8月に発効。

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