イギリスの神話 海賊 黒ひげ

images (1)

 

アメリカの植民地のほとんどは海賊に背を向けていたが、 ノース・カロライナだけは海賊を歓迎した。生活難にあえいでいたからで、 近隣の植民地が密輸業者や海賊との交易を禁止できた理由の、 有利な交易物資「米とインディゴ」がなかったためでした。

1718年1月 黒髭たちはノース・カロライナで新しい恩赦令に従い降伏した。 しかし形だけのもので、イーデン総督は黒髭の戦利品の1%をうけとり、 黒ひげが、近くの湾で傾船修理をし航海の準備をしたが止めず、 植民地書記官兼関税取立て人のバイアス・ナイトは出航を助けさえしました。

黒髭は各港に情人をもっており結婚式をあげた妻が14人いたという。 ただ13人は船の士官がおこなった偽のもので、イーデン総督が執り行った14番目だけが正式だったといいます。

Image result for イギリスの神話 海賊 黒ひげ

その後黒ひげは、ボネット少佐という陸軍を退役したあとスループ船を購入、大砲10門つんで 海賊をはじめた変わった男にあい 意気投合して同行したが、ボネットが海賊はアマチュアだとわかったので 体よく部下を船長にして ボネットを事実上囚われの身にした。そのうち分かれたボネットは、それなりに海賊を覚えたので 何隻か襲っていたが、(1度は賄賂でまぬがれたが)つかまいました。
「キャプテン・サッチと一緒のときだけ海賊をしていた」とヘタな弁明をし たが裁判で若い仲間28人と絞首刑になった。

しかしボネット処刑の1ヶ月前、ティーチもおわりを遂げていた。

Image result for イギリスの神話 海賊 黒ひげ
ヴァージニアは安全な海洋貿易のため黒髭が邪魔 だったのでスポッツウッド総督に対応を要請。スポッツウッド総督は海賊に執念深い敵で 立法府が海賊退治の遠征資金捻出をもめたとき自費で出した。
派遣された英国海軍パール号ロバート・メイナード中尉が黒ひげにとどめをさしました。

 

1718年11月21日、酔っ払った黒髭と18人の部下にたいし2隻の軍艦、スループ船で戦いとなった 1隻の船長を殺し62人の水兵をほとんど負傷させ勝ったと思われたが逆転勝利しました。

至近距離でうちあったというメイナードと黒髭だが、黒髭が負傷し、カトラス(短刀)をふりあげ メイナードの刀が折れたところへ、海軍のひとりが黒髭の喉をきりさいた、というお芝居めいた物語が伝わって いるようだ。
喉から血を流しながらピストルを撃ち続けたが水兵に次々に切り付けられ20箇所の傷を負い、死んだという。

恐ろしげな首は船首に吊るされ、ヴァージニアで杭に吊るされた。 生き残った海賊15人のうち13人が死刑となった。

当時のバッカニアや海賊は、10年以上続けたものは殆どおらず 有名な海賊でも2,3年の経歴だという。

2011年1月、この18世紀の悪名高き海賊「黒ひげ」の旗艦「クイーン・アンズ・リベンジ」号とみられる難破船 から発見された装飾剣の柄が公開された。破片の状態で見つかった柄を修復したもので、部分的に金箔が施されている。

 

 

関連記事

カテゴリー

return top