Gloucester will be holding its annual festival of Histor

08263

先回に引き続き、いくつか秋のイギリスイベントのお話です!

先回の続きでもう少しグロスターについてご紹介したいと思います。

少し歴史のお話の続きです。

アングロサクソン時代には、グロスターは、『輝く川の上のとりで』の意味がありました。

古いウェールズ語で、町はCaerloywとも呼ばれたといわれます。

CaerはCastle、loywはgloywに発した言葉で、gloywはglowingまたはbrightという意味となります。

それは航行可能な川にあり、681年にメルシアのエセルレッドによってセント・ピーター修道院が創建されました。

その恩恵で町は成長したともいわれています。

もともとノルマン征服以前、グロスターは保安官の治めるバラ(borough)で、城はしばしば王宮とな

ったり鋳造所となりました。


現在の核となる通りの配置は、後期アングロサクソン時代のエセルフレダ(アルフレッド大王の娘)の時代へ遡ります。

さらに中世には、初代グロスター伯ゴドウィンは次の世紀までに、爵位をグロスター伯ロバートが継がれました。

1155年、ヘンリー2世は最初の特権をグロスターへ与えたあとは、ロンドン市民やウィンチェスター市民同様の

自由を自治都市市民に与えられました。

ヘンリー2世は2度目の特権としてセヴァーン川の通過の自由をグロスター市民に与えたともいわれます。

最初の特権は1194年にリチャード1世によって認証されました。

自治都市の特権は、1200年のジョン王の特権認可によってより一層広がったともいわれています。

ジョン王は、グロスター市民の国中での通行料金の免除、自治都市外での訴訟手続きの自由を与えたのです。


テューダー朝とステュアート朝時代には、その後の特権は非常にたくさんありました。

1483年、グロスターはリチャード3世によって合併させられ、町は単体で行政区画となりました。

この特権は1489年と1510年に認可され、その他の合併の特権はエリザベス1世とジェームズ1世によって与えられました。
グロスターは、メアリー1世時代のグロスター司教ジョン・ホッパーが火炙りにされた場所で、1555年にメアリー1世の迫害

によって殉教しました。


1643年のグロスター包囲はイングランド内戦において重要な戦いもありました。

包囲した議会軍が勝利を手にしたのです。これが今回の歴史イベントとなったわけですね!

いかがでしょうか?

この歴史イベントには、こんな長い歴史ストリーからきているんですね。

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