イギリスを代表する作家シリーズ Dame Agatha Mary Clarissa Christie

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イギリスを代表する作家シリーズの今回はDame Agatha Mary Clarissa Christie アガサクリスティーについてです。

Dame Agatha Mary Clarissa Christieといえば、言わずと知れたミステリーのクイーンです。

イギリスでも人気ですが、日本はもちろん世界でも有名なミステリー小説作家です。

Dame Agatha Mary Clarissa Christie

アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie, DBE、旧姓: ミラー (Miller)、1890年9月15日 – 1976年1月12日)は、

イギリス生まれの推理作家です。

発表された推理小説は世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれました。

英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。メアリ・ウェストマコット (Mary Westmacott) 名の小説が6作品があることでも知られています。

アガサクリスティーの生い立ちは、1890年、フレデリック・アルヴァ・ミラーとクララ・ベーマーの次女としてイギリス南西部のデヴォンシャー州に生まれました。

三人兄弟の末っ子で、10歳近く年の離れた姉と兄がいました。

しかし年頃の姉マーガレットは寄宿学校におり、長兄モンタントはパブリックスクールを退校して軍に入隊していたために幼少期を共にする機会が少なく、

専ら両親や使用人たちと過ごしました。

父フレデリックはアメリカ人の事業家だが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていました。

母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていました。

母の特異な性格はアガサや家族の運命に少なからぬ影響を与えましたが、フレデリックは奔放な妻を生涯愛し続け、アガサも母を尊敬し続けました。

少女時代のアガサは兄や姉のように正規の学校で学ぶことを禁じられ、母親によって直接教育を受けました。

母クララの教育に対する不思議な信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「7歳になるまでは字が書けない方が良い」となぜか信じており、

アガサに字を教えませんでした。

実際アガサは一般の子供より識字が遅く、父がこっそり手紙を書く手伝いをさせるまで満足に文字を書けなかったとも言われています。

変則的な教育は字を覚えた後も独特の癖をアガサに残してしまい、現存している子供時代の手紙はスペルミスが非常に多いことからもそれがわかります。

同年代の子供がパブリックスクールで教育を受ける間、アガサは学校に入ることを許されませんでした。

同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをして過ごしました。

そのため内向的な性格の少女時代をすごしたそうです。

一方で父の書斎で様々な書籍を読みふけって過ごすなど幼いころ方文学にたいする関心はたかく、

そのご、様々な事象に対する幅広い知識を得て教養深さを養うことが出来たともいされています。

事情から一家が短期間フランスに移住した時、礼儀作法を教える私学校に入って演劇や音楽を学んだそうです。

このように、少女時代から文学にたいする造形は高かったようですが、それも内気な性格や母親の教育に対する態度からきたものとは

初めてしりました。

次記事へ続く

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